悪戯な風の精が気紛れに人々の間を駆けて行く。 
近頃、滅法湿り気が多くなった風に淡い色の髪と対照的に濃い色のローブをそよがせて彼は階段を降りる足を止めた。 

一年を通じてあまり気温の変化が無い魔法都市では、長いローブは防寒具では無く所属証明である。
紫紺に金の糸で太陽を縁取った紋を描くのは、八賢者の一人である大魔導師、クレイドアを祖に持つ流派。
荒ぶる大地を鎮めるべく女神を呼んだと言われる八賢者の内でも、クレイドアは天文魔法学に秀でたとされ、魔法都市と呼ばれ栄えるアンバールの沈まずの太陽の創作者として、今なお沢山の魔法使いが彼女を志している。
夜になっても日が沈むことの無い都…実際には夜、都の中心に立つ塔のてっぺんに取付けられた魔法具が月より明るく、さながら太陽の如く辺りを照らす。
魔法具自体は何のことは無い普通の魔法具で、クレイドアを信仰するアンバールの魔法学校、要の塔の生徒なら、大体の生徒が作れてしまうような簡素なつくりだ。
しかし巨大な魔法具を何百何千と言う年月一度として狂い無く稼働させ続ける技術と魔力は、未だどの魔術師、技術者も解明出来てはいない。

「ルイくん」
彼の名を呼ぶのは彼と同じく要の塔を学び舎としている、同級生の少女の声。
年は確かルイよりひとつ下のはずだが、塔に年功序列の考えは通っておらず、ただ完全に術を習得した者のみ上級生として進学するので、彼女は彼の同級生であった。
「ミヨ」
綺麗に切り揃えられた彼女の髪は全体的に色素の薄いアンバールに置いて珍しい、艶やかな黒。
ちなみにアンバール生まれのルイの髪は少しまとまりの悪い甘栗色である。
とんとん、と軽い音を立てながらルイに並んで、ミヨはその大きな深緑の瞳でルイの顔を覗き込む。
「今お帰りですか?」
「うん。レシアのおつかいでインクと、ランプのアルコールとかを買いに行ってたんだ。ついでにライルの新しい首輪と」
手に持った紙袋をゆすって見せるルイに、ミヨは小首を傾げて応じた。
「そのライルは何処です?一緒じゃないんですか?」
「ライルはサヤと一緒にレシアに頼まれた文献探ししてるはずだけど」
「みんな先生のお手伝いなんですねー…ミヨも図書館に行かず、塔にいたほうが良かったでしょうか」
今日は月回りに一度の塔が休みの日だ。
ミヨは今日一日、都の真ん中に鎮座する中央図書館にいたらしい。
ルイは他の生徒と違って家から塔に通っている訳ではなく、塔自体に住んでいるので休みの日も塔にいると言うだけの話なのだが、小さな両手で口元を隠して眉根を寄せる彼女は本気で悩んでいるようだったので、ルイは苦笑しながら空いているほうの手を振った。
「大丈夫だよ。頼まれたのは僕とサヤだけだし、今日は授業無かったんだから塔にいなかったからってレシアは怒らないよ」
「ホントですか?」
ぱっと表情を華やがせた彼女は、東の都であるアンバールとは、対極の位置にある大陸の西側、海沿いに広がる商いの都アルゲイポンテスの出身である。
アンバールの普通の人の顔に比べ目鼻立ちのくっきりした整った彼女の顔は、誰もが好感を抱く笑顔がよく似合う。
礼儀正しく屈託の無い、天真爛漫を体現したような彼女は、流石と言うべきかなんと言うか、若干10歳にして世渡り上手というやつだった。
「あ、そういえばテイレシアス先生にこの文書をって、アイギナさんに頼まれたんですけど…」
「レシアに?」
「はいですよ。四大元素守護精霊と法陣図のリストだそうです。前に授業でやったサラマンドの契約召喚が乗ってたので、多分テキスト資料だと思うですよ」
階段を降りきると細い路地が続く。
道幅は人が3人通れるくらいだが暗いなんて事はなく、むしろ明る過ぎるくらいである。
そしてこの路地こそが、アンバールの全ての機関や施設を繋ぐ通路。
地表では遠い場所でもここを通ればすぐ、という抜け道の集まりなのだ。
しかし難点も一つ。
地表と地下で空間にねじれがあるため、出口の配列が違うのだ。
気を抜いていると図書館に行くつもりが役所に出たりしてしまう。
しかし逆に言うとそれさえ気をつければこれ以上便利なものは無いので、ルイを始め沢山の生徒もこの地下通路を利用していた。 
塔に繋がる扉に手を掛けたところで立ち止まったルイは、そこでふと、ミヨを振り返った。
「そういえばユウの髪、切った方がいいと思って、僕今日鋏を買おうと思ってたんだよ」
ルイが自分の前髪を持ち上げて切り落とす動作をすると、ミヨは頬に手を当て考える仕草をした。
「そうですねー…ユウくんのあの髪は目に悪そうですし…」
「余計な世話だな」
低い声で不機嫌そうにそう抗議するのは、長い金の前髪で右目を覆った少年である。
ルイが手を掛けていた扉を内側から開き、長身を屈めるようにして路地に身を乗り出している。
彼は塔の生徒では無くガーディアン。
塔を守る人、だ。
「冗談だよ。ユウ、ただいま」
ユウは相変わらず不機嫌そうに小さく鼻を鳴らし、二人から目を離した。
体を扉の中に引っ込めて踵を返し、奥の階段を数階上がって肩越しに二人に言う。
「…。レシアさんが校長室で呼んでるぞ」
「校長室?なんだろ」
「丁度いいですよー。こっちも先生に用があるですし…」
そう言いつつ階段を上った彼らが最初に見たものは 

石になった、クラスメイトたちだった。 

「…ッ?!!」
全身にびっしょり汗をかいて、ルイは飛び起きた。
辺りはまだ暗く、がたがたという車輪の音と共に荷台に乗った体が上下に揺すられる。
ひとつ大きく息をついて額の汗をぬぐい、彼が体にかけていた毛布を引き上げると、ばさばさと音を立てて馬と荷台とを繋ぐ布が持ち上げられ、日に焼けた少年の顔がのぞいた。
昼間御者の息子だと名乗っていた少年だ。
星明りが荷台の中を照らしだした。
「おぅい、誰かしらねえけど大丈夫か?何かすげぇ音がしたけど」
自分の影でよく見えないのか、少年は体をしきりに揺らしながらルイに声をかけてくる。
「いや…大丈夫です。すみません」
「んにゃ、大丈夫なら良いけどな。こちとら眠くってよ、目ェ覚めて丁度良かったぜ」
掠れた低い声を低めて彼はひとしきり笑い、それから体を震わせて首元を揉んだ。
「ひー…ここらこんなに寒かったかな…ああいや、今のは忘れていいぜ。 んーそうだな…日が昇るくらいには次の村に着くから、もうちょっとしたら他のヤツも起こしてやってくれよ。そっちの旅芸人さんの方もよろしく」
ひらひらと手を振って戻っていった彼を見送って、ルイはもぞもぞと方向転換した。
彼の腹の上に乗っかっていた竜のライルが弾みで床に滑り落ちて頭を打ったらしく、彼の横でしきりに前足で頭を引っ掻いていた。
その奥で寝ているのは手前からサヤ、ミヨ。
そしてさっき出て行った少年が言うところの旅芸人が二人。
ユウは奥に積まれた荷物に体を預けて目を閉じているが、果たして彼が本当に眠っているかどうかは怪しいものだった。
「…ごめんねライル。ダメだよねこんなことじゃ…さ…。レシアに…また…怒られちゃうよね…ッ」
何度目かすでに分からない独白と共に、ルイはただ静かに唇をかむ。
「きぅ」
ライルは何度か首を左右に振ってビー玉のような瞳を瞬かせ、降り注ぐ雨に手を伸ばしてこてん、と後ろ向きに倒れた。
ライルの小さな両の手足がルイの体を蹴る。
「あ、はは…うん。大丈夫。すぐに笑うから…だから、もう少しだけ…待ってねッ…」
霧の夜が、静かに更けてゆく。
風は冷たく彼の肌を冷やし、靄のかかった様に霞んだ月の光は薄い日よけの布でさえ完全に遮れてしまうほどに弱い。
ともすれば揺らめいて消えていきそうな平凡なその日、少年は旅に出た。 
 

 

 

 

 

 

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