顔が近づいてくる。
変に色気のある小学生はにやにや笑いながら、これ見よがしにゆっくりと顔を近寄せてくる。
顔が近い。
零れ落ちてきたヤツの髪が頬をくすぐる。
くっそー油断したな…。
にやにやした顔を一発殴ってやりたいが、体が動かないので仕方ない。
同じ理由で逃げられそうにも無いので、私はヤツの顔をじっくり観察することにした。いい機会だ。
うわー流石は小学生、肌つるつるー。すっご、睫毛長ぇー。くるくるしてるよ。
そして。
唇が、唇に触れる一瞬前というかギリギリで。
ケロベロスは動きを止めた。
「…なーんで目を瞑らないかなあ、超つまんないし」
瞑って堪るかこのくそガキ。
やはり本当にキスをする気はなかったらしく、私の上で伸びをするケルベロス。
「ちょっと早く降りなさいよ。あんまりやり過ぎだと死神さんに言いつけるよ」
「そういえば最近、四代目に会ってないかも。エフはこの前来たんだけどね」
「エフェイクボイスが?私、アイツだけ連絡の取り様が無いんだけど。ケルベロス、アイツの住所とか電話番号とかメルアドとか、なんか知らない?」
「僕らは他の手足に対しては非干渉がルール。ていうか、知ってても教えないし」
「あんたね…」
「言われる筋合いもなし。それにしても、右京輪廻ね…」
「知り合い?」
「うん」
「ホントにっ!?」
よし、と思った矢先。
「面識は無いし、詳細プロフィールはおろか、年齢も性別も分かんないけど」
「おい」
待て少年。とんでもないことをしれっと言うな。
「それ、世間一般には知り合いって言わない」
単純に知ってる、だろうそれは。
「でも何度かメールはやり取りした仲だし。…あ、ちなみに右京輪廻ってハッカーのハンドルネームね。多分本名じゃないし」
「ハッカー?…じゃあ悪人?」
じとっと睨まれた。
「…偏見で物を言うクセ、なんとかした方がいいと思うよ」
偏見もなにも、ハッカーはパソコンを使って悪いことをする人を表す単語だろうと思うのだが。
「クラッカーと一緒にしないで。ハッカーが全員悪人な訳じゃないし。僕も世間一般にはハッカーだし」
「…」
じゃあ悪人じゃん。
思ったが言わなかった。付き合いはそんなに長くないが、ケルベロスは結構タチが悪い悪人だと思う。
「ウィザードクラスのハッカーだよ、右京輪廻は。Rって名乗ってる時もある」
「ウィザードって魔法使い?」
「そう。最高クラスの技術を持つハッカーをそうやって呼ぶ。こっちじゃかなりの知名度だよ。文字通り、名前だけ、だけど」
皿からマカロンを手にとって、机の上に積み上げながらケルベロスは喋っている。躾のなっていない子どもだ。
食べ物を粗末にするなと教わらなかったのか。まあ教えてくれるようなひともいなかったのだろうけど。
「…で、依頼内容は調査でいいの?」
「んん、どっちかって言うと捜索かな。連れてこい、だったから」
マカロンタワーが崩れた。ため息をつくケルベロス。
ため息をつきたいのはこっちだよ…。朝っぱらから呼び出されて、部活もサボっちゃったじゃんよ。
「…洗うには結構時間掛かるよ」
それでもいいか、とは聞かない。洗い出せる絶対の自信。揺るがないそれは、彼が自分で培ったものなのだと、今の私は知っていた。
なんだかんだで彼は無理なことは無理だとハッキリ言うタイプだ。
「まあ、なにか分かったら連絡する。エフと狐には僕から声を掛けておくから、来週の頭ぐらいに会いに来いってキューピッドとフェイに言っといて」
「了解。希望は?」
「いつでも良いけど来る前に連絡入れてもらわないと困る。あ、後、フェイにコレ渡して」
帰る気満々だった私を呼び止めて、ケルベロスが徐に投げて寄越したのは青色のフラッシュメモリだ。
落としたらどーすんだよおい。
金持ちのおぼっちゃまには物を大切にする心が足りない。
「渡すだけでいいの?」
「んー…見たら壊すように言っといて。別に見てなくても良いんだけど」
「…」
じゃあ渡すな。
訳が分からないのは元々だから何も言わずにおいた。さっきからキーボードを叩いていたので、恐らく指令だろう。先に動いてくれると助かるけど、別に動かないと困る訳でもないっていう。
機械関係の仕事は基本的にケルベロス1人で事足りる。というか、ケルベロス以外の機械スキルは凡人並み、若しくは凡人以下なので、殆ど使い物にならない。ただし、フェニックスだけは別である。
フェニックスは特異能力者。フェニックス本人の機械スキルは決して高くないが、ケルベロスが彼を重宝するには充分な能力を彼は持っているのだ。
ケルベロスも認める彼の能力、それは瞬間記憶の能力である。
「んー。これ見るの?」
所変わって、またマンション。
「そ。見たら壊せってさ」
「あいさー。じゃあネカフェ行かなきゃ。ここ、パソコンとか無いから」
「僕が壊しちゃうから…ごめんなさい、機械とはどうも相性が悪いみたいで」
「いや、別に絶対見ろって感じじゃなかったよ。それより」
「分かってる分かってる。来週でしょ、シンデレラと一緒に行くよ。俺らはいつでも構わないしね」
手の中でメモリを遊ばせながらフェニックスは笑う。天真爛漫、辛いことなんて何一つ知りませんと言わんばかりの笑顔だ。
洗濯物を干し終えたキューピッドさんが斜向かいに座り、チョコレートを手渡してくれた。
「それにしても、ケルベロスはなにを考えているんでしょうねー。フェニックスはともかく、僕がよばれても意味が無い気がしますけどー…僕、機械触わると壊しちゃいますしー、聞き込みも出来ませんしー」
そんなもん、私に分かる訳が無い。
「んー、ケルベロスの考えなんて分かんないけど、なんかあるんじゃない?」
用が無ければよばないだろうし。
キューピッドさんの機械音痴は、音痴どころの話ではなく、むしろ触った機械をほぼ間違いなく壊すことぐらい私も知っている。今の所、なかなか壊さなくなったのは洗濯機と掃除機くらいだ。電話もパソコンもテレビも壊すレベルだが、それでもなにかあるのだろう。
ケルベロスは極端に無駄を嫌う。
「んーヒマだし、先に見ちゃおうかなあ。シンデレラ、まだ大丈夫?」
「まあね」
というか、学校サボっちゃったし。
普通ならまだ授業が終わっていない時間なので、予定も無い。というか、ある訳が無いし。
「んじゃ、一緒にいこ。今日、買い物とか、ある?ついでに行って来るけど」
「いや…特に無いですよー」
「じゃあそのまま帰ってくんね。駅ンとこのネカフェに行くから」
「どうぞー」
「待って。ネカフェって、そこの通りにもあるよね」
「クーポンあるからさ。ちょっと距離あるけど使えるトコまで行こっかなと」
「ナルホド」
納得。
「後ぉ…自転車、乗っけてもらえると嬉しいなーとか」
「お前なぁ…!!」
漕がす気満々じゃねぇかよ。
「えー、だってシンデレラの自転車、サドル高いしぃ。俺、足、届かないもん」
…確かに。
それに、フェニックスとキューピッドさんは自転車を持っていない。極端にインドアなので、滅多に遠出しないのだ。ケルベロスに呼び出され無い限り。一番遠くてドラッグストアだ。因みに歩いて数十分。彼らの移動手段は徒歩である。
駅まで歩くとなれば小一時間はかかる。往復だけで二時間弱。どのくらい店内にいるか分からないが、明らかに時間の無駄だった。
「…分かった。でもあたし、帰りに本屋、寄るよ」
「まんが?」
「参考書」
なんでなんの溜もなく漫画なんだよ。
「はゃー。イイコだねぇ、流石はいいんちょ」
「…からかうのは止めてくれる?」
高校で学級委員長をやっているという情報は、勿論あの困ったお坊っちゃんの暇つぶしに暴露された。完全にバカにしている。
「んにゃ、ホント、スゴイと思うよ?」
俺、がっこなんて、行けないもん。
フェニックスはいつも笑顔だ。
理由は知らないが、ケルベロスとフェニックスは義務教育を受けていない。現在10歳のケルベロスは現在形、17歳のフェニックスは過去形だが、当人たちはそれを憂いてはいない。少なくとも外から見る分には。
「じゃあ帰りは歩いて帰るってコトで」
「分かりましたー」
キューピッドさんがふわふわと笑う。
「いってきまーす」
「はい、行ってらっしゃいー」
選手宣誓宜しく右手を上げて、元気いっぱい笑いながら言うフェニックスと、ちゃんとフェニックスの目線で答えるキューピッドを見て私は思う。
親子みたい。若しくは幼稚園か小学校の教師と生徒。
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