明け方が近い。
山の頂を越え、少し下った辺りで空を見上げたルイは息をついた。
「ちはや、次の町までどの位かかる?」
「町は当分無いよ。山を下って…森を抜けるまでは小さな集落がちらほらって感じだね」
ユウの問いに、手近な木に登ったちはやが答える。そうかと答えたユウが何かに気付き、身を翻して。
「ルイッ」
ユウがサヤを押し戻す。素早く腰から黒棒を引き抜いたルイは、それを回して伸ばしながら前に出た。ミヨの前に飛び下りてきたちはやは既に短剣を右手に握っている。
草陰から飛び出してきた小さな影は、弾丸のようなスピードで真っ向からルイにぶつかってきた。黒棒でそれを受け止めたルイは、その重量に顔を歪める。信じられないくらいに、重い。
「ぅ…この…っ」
なんとか跳ね返したそれと対峙し、ルイは目を丸くした。
「君、昼間の」
「リン?」
獣のような形相のリンは、獣のような仕草でルイ達を威嚇していたが、ちはやの声に反応したのか、一瞬構えが緩んだ。すかさず間合いを詰めたユウが麻布で彼女の視界を奪う。
「全く…お前たちは奇襲を仕掛けるのが趣味なのか」
「なんでリンがここに」
寝たはずじゃないのか。
ルイもちはやと同意見である。
「というか、どうするですか?一旦連れて帰ります?結構来たんですけど」
ユウより更に動じていないのは、マイペースとしか言いようがないミヨ。
もう少し驚くという選択肢があっても良い気がする。昨日の所作と言い、彼女には身を引くという行為を実行する気はさらさらない。色んな意味で。
「け、けど、だからって連れて行くのは少し…忍びない気が」
サヤもそれなりに順応が早い。少々気が弱いが、流石はメンバーの良心的存在。帰りたくないオーラ全開のミヨとは違い、しっかりリンを擁護している。ルイは黒棒を腰のホルスタに戻した。
「確かに、リンの意思を聞かないとなんとも言えないけど…」
「無理だよ。リンは喋れない」
「え?」
口を挟んだちはやの言葉にサヤは間の抜けた声を上げた。
「言葉は分かる。声が出ないんだ」
「一体、どうして」
ちはやは答えなかった。
「…リン、戻るんだ。帰るんだよ」
麻布を取り外し腰を落としてリンの手を取り、握りしめながら言い聞かせようとする彼に、しかし彼女は肯こうとしない。彼女は頑なに首を横に振り続け、しまいには不安定な格好の彼にがっちり抱き付いて、そのまま押し倒してしまった。
「うわっ…ちょ」
声が出ないからか、リンは小さな体全部を使って非常に分かり易く感情表現をするようだった。
要は帰りたくないらしい。
「…なんだか説得するのも面倒くさそうだな」
早々に匙を投げたユウは傍観者に徹することを決めてしまったらしく、近場の幹に寄りかかって腕を組んでいる。基本的に、彼は進んで人事に首を突っ込むタイプではないのだ。むしろ、よっぽどのことが無い限りは見ない振りを決め込むタイプである。ユウの介入はまず期待出来ないと言っていい。
ひとまずリンをちはやから引き離したルイは、リンをしっかり座らせてミヨに託してからちはやに向き直った。
「とりあえず僕らは今日の内に出来るだけこの森を抜けておきたいんだ。リンの意見もだし、戻ったらどれくらいかかるか分からないって言うのも問題で」
「外れの村から交通便があって、それに乗るんなら戻っても今日中に抜けられっぇいたたたたっ」
「リンちゃんやりますねー。今、思いっ切り抓りましたよ。全く躊躇の無い、華麗な動きでした」
「観てないで止めてよ…」
踏まれたり抓られたり、昨日からろくな目に遭っていないちはやである。後、ミヨはリンの監視をしていたんじゃないのか。
「ルイくん、リンちゃんってばかなり強いですよぅ。連れて行きましょう」
「そんな、滅茶苦茶な…」
抓られた後遺症か、ちはやの反論に力がない。リンとミヨのダブルパンチの前には如何にちはやと言えど優勢を保つことは出来ないらしい。
ルイは人選を間違えたことを悟った。リンの監視はミヨではなくサヤに任せるべきだったようだ。
「リン、レキは君がちはやを追いかけて来たことを知っている?」
ルイの問い掛けに間髪入れずにかぶりを振るリンだった。ユウが呆れたように溜め息をつく。
「レキが知ってる訳無いでしょ…事前に知ってたら、柱に括り付けてでも止めるから」
大暴れする上に、ちゃんと見てないと縄を咬み千切っちゃうから無意味なんだけど、とちはやは苦い顔。可愛らしい容姿とは裏腹に、随分と凶暴なようだ。
「…分かった。このまま行こう。ボクがリンの面倒を見る。…でもリン、ひとつだけ約束」
大きな目を爛々と輝かせてリンが頷く。ちはやは細くて長い人差し指を立てた。
「危険だと思ったら、何を置いてもすぐ逃げること。例えボクのことでもだ。これが守れないなら、何が何でも家まで連れて帰るからね」
ぶんぶんと勢い良く頷くリンにもう一度念を押して、ちはやは大きな溜め息をついた。