閑話休題。
ルイが肩を負傷し、サヤとユウが加勢に入った丁度その頃、ちはやとリンは民家の屋根の上に登ってその様子を傍観していた。今のところ、リンも大人しくしているようだ。
「降りちゃダメだよ」
一応釘だけ刺しておく。ほぼ無意味なのだが。リンが動き出してからでは遅い。
上から眺めた限りにおいて、鬼は別段、とんでもなく強いと言う訳ではなさそうだった。確かにかなりスピードはあるようだが、逆に言えば、それさえなんとかなれば余裕で対応出来る。攻撃自体は非常に単調だし、何よりリーチが短いのは大きい。さっきのことも殆ど、逆上したルイが自滅したようなものだ。
ここで負けるようならそれまで。
さっきのリンの奇襲時は、自分の身の安全や体裁も保つ必要があったので加勢したが、今は違う。わざわざ危険を冒して他人に加勢してやるほど、ちはやはお人好しではない。ましてや、信用出来るのかどうかもまだ怪しい連中だ。ちはやに加勢する気はさらさら無かった。
無かったのだが。
「…ん?」
人垣の外側、丁度ルイたちが背を向けている辺り。細部こそ違えど殆ど同じ鬼がもう1人、ゆっくり歩いて来ている。更に目を凝らしたちはやは眉を寄せた。
「なんだ…?」
両手に光る何か。鋭利な金属器。刃物。
「…ナイフ」
ヤバい。あの速さで2対1は圧倒的に不利だ。しかも相手の武器はナイフ。対するユウはルイとは違い、素手である。
ヤバい。やられる。
思考は一瞬。迷う前に動き出す。信じられるのは、研ぎ澄まされた自分の勘だけ。
「リンはそこにいて」
振り返らない。そんな余裕は無い。自分はそんなに強くないことをちはやは知っている。
地面に足が着くなり、逆手に短剣を抜いて鬼目掛けて走る。
後一歩。間に合うか。
手を伸ばす。
届け。届け、届け届け。
一瞬鬼が振り返って笑んだ気がした。温かい微笑みではなく、冷たい嘲笑。勝ち誇ったような、底意地の悪い笑みだ。ふわり。ふわ、ふわり。
「待てッ」
気付くが遅い。鬼の体躯が宙を舞う。人垣を軽々と飛び越えて鬼の姿は見えなくなった。悲鳴があがる。女だ。人垣の中だがサヤやミヨとはトーンが違う。まだ大丈夫か。時間の問題か。そんなこと思考するまでもない。
ヤバい。ヤバい、ヤバい。止まらない。止められない。嫌な予感が。動く足が。
ああどうして。
短剣を腰に仕舞い、迷わず人垣に突っ込む。人波を押しのけ、掻き分けながらも嫌な考えが止まらない。
「のけ…はやく、はやく行かなきゃなんないんだよ、はやく、はやく。のけのけのけのけ…っ」
波が定まらない。幾度となく、かい潜って来たはずの人波なのに。上手く動けない。鈍い。鈍いおとな。鈍すぎる。邪魔だ。
ああどうして。
「…はやくのけよッ」
突如、視界が開ける。初めから遮るものなど何も無かったかのように、ちはやは円の中心にいた。2対1で防戦一方のユウ。肩部がどす黒く染まったルイ。サヤとミヨは鬼の動きを目で捉えられているのかどうか。
どうすればいい?どうすればいい?
自分らしくない。頭が回らない。思考が空回りする。思考が散乱している。足が動かない。
ああどうして。
寒い。震えが止まらない。
ああ、怖い。
動けなくなった、動きの止まったちはやの頭上を影が走った。
「…え?」
一秒遅れて片方の鬼の上にリンが降ってきた。ちはやが追いかけて来た方の両刀の
鬼だ。もう片方の鬼も飛び退いてユウから距離を取る。
「なんだァ?チビが降ってきたけど。…おいペコラ、なぁに遊んでやがる」
時間が戻ってくる。足が動く。短剣を抜いて走る。
嫌な予感は止まらない。胸がざわざわする。
「止めろ、離れるんだリンっ」
「鈴?どっかで聞いたな」
やはり仮面を付けたままでは良く見えないのか、仮面を外した鬼の顔。
知っている顔だった。

浅黒い肌に薄い唇。ぎょろぎょろと目ばかりが大きくて、耳の上辺りからは立派な角を生やした少年。ちはやは彼を知っていた。
「…シェヴル」
「あ?よぅ、えっと…あれ、名前は何てったっけ?そう、"霊疾"か。元気そうじゃんよォ」
シェヴルは唇だけを大きく歪めてけらけら笑う。冷め切った瞳は鋭利な刃物のようにちはやを突き刺したままだ。
「おいペコラ、何時までも遊んでんじゃねぇよ。てめぇも挨拶だろ、何年ぶりだ?5年か?」
お願い。
助けて。
「てっきりもう死んだと思ってたよ。多いんだ、せっかく助けてやったのに罪悪感であっさり死んじゃうヤツがさァ…」
なんでもするから。ぼくの声ならあげるから。
だから、お願い。
彼を助けて。
「…へぇ、ホントだァ。久しぶりじゃん、"鈴"。あの時はありがとねェ、大事にしてるよ。この、声」
リンを振り落とし、右足で踏みつけながら仮面を上げたペコラも笑う。シェヴルより黄ばんだ肌に、笑うと捲れる赤い唇。リンには呻くための声すらない。
「応えらんないか。そりゃそうだよねぇ、綺麗な声はあの時ペコラが貰ったもんねぇ」
文字通り、鈴を振るような声を張り上げるようにして、ペコラは下品な高笑いをした。

 

 

 

 

 

 

 
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