万物には理がある。
全ての事象には意志があり、故に万物には神が宿る。数え切れない程の神々を一括りにヤオヨロズノカミと呼び、崇める世界もあると言った。
ユナにおいては、アンバールを作り上げた賢者たちが、その数え切れない程の神々の名前を全て正確に知っていた。その名は、それぞれの世界に溢れるどんな言語にも属さない名前。共通の名前、御名もしくは真名と呼ばれる名前である。
どの世界にも属さないが故に、どの世界からでも確実に届けられる名前だ。
「我が澱をバアルに。我が欲をエンキに。我が夢をコスモスに。どうか地に請う我が声を聞き届け給え」
助けて下さい。
先生…先生、どうか、私達を助けて。
声を、聞いて。
サヤの血で描かれた魔法陣が、呪文に反応して輝きだした。
ユウは限界だった。
体が思うように動かない。目がチカチカする。短い間だったが2人同時に相手をしたのが効いているらしい。
マズい。もう攻勢に転じられない。完全に息が上がってしまっている。
どうしたらいいかユウが思案していると。
「んぁ?なんだァ…?おいペコラ、後ろのチビは何してる」
「ユウっ」
シェヴルが何かに気付いた。
なんだ?何に気付いた?
続いてルイの叫び声が飛んでくる。
「後ろォ?自分でも見に行きなよシェヴル。…まあペコラも行くけど」
ペコラが笑っている。ちはやの声が重なる。
「行かせるなっ」
「邪魔よ、あんたに用はない」
ペコラの声がワントーン下がる。金属音とは違う、鈍い音が混じる。
「ちはやッ」
どうやらちはやが殴り飛ばされたらしいが、地に叩きつけられたような音は聞こえて来ない。振り向くべきか迷ったユウの耳に、すぐちはやの声が聞こえて来る。咽せているのか少し苦しげだ。
「大丈夫…っ、まだいける」
ちはやに気をやった、一瞬のことだった。一瞬だったはずだ。
シェヴルが目の前にいる。マズい。ユウは焦った。
なんとか短刀をかわす。続いて足払いがかけられ、第二撃。バランスが崩れる。無理だ、避けられない。太刀筋を逸らして、しまった、これでは懐ががら空きだ。
気付いても時は戻らない。シェヴルがすかさず懐に飛び込んでくる。口を大きく開けてシェヴルが笑って。舌なめずり。
赤い。
赤くて長い、シェヴルの舌。
「テメェもいい加減、邪魔なんだよッ」
無傷は無理だ。
腹を括ったユウは、最悪だけは回避しようと往生際悪く身を捩って両手でシェヴルの、短刀を握っている左手だけを封じ、特攻を仕掛けた。
待っていたかのように腹めがけて膝が飛んでくる。鈍い打撃音。
思わず叫び出しそうな痛みに視界が霞み、両手の力が緩みそうになって、それだけはと更に両手に力を込める。ヤツらの狙いは、ルイとサヤとミヨの3人。ルイは兎も角、サヤとミヨの下に、シェヴルを行かせる訳には行かない。
一度声を上げてしまったら、理性もなにも全て吹き飛んでしまいそうで、ユウは必死で歯を食いしばった。
シェヴルは汚らしい哄笑を上げながら、何度も何度も鋭い蹴りを入れてくる。朦朧として、手放してしまいそうになる意識の中、ユウが思ったのは彼の雇い主、テイレシアスのことだった。
ごめんね、ユウ…僕の、代わりに…彼らを、どうか、助けて…あげて…。
頼まれたのはつい数日前のこと。忘れもしない、あの日。
泣き叫ぶミヨを右腕に、駆け寄ろうとするルイを左腕に抱え、ユウはレシアに頷いた。必ず助けると、彼に約束した。
…約束したのに。
レシアさん。
すいません…すいません、レシアさん。俺、もう…駄目かも知れない。約束、したのに…折角、俺を、頼って、くれたのに。
約束、もう、守れないかもしれません…。
「…我らを、導き給え…」
薄れゆく意識の中で、ユウはサヤの声を聞いた。
完成間近の魔法陣から迸る赤い光を背に受け、ルイは右手でちはやの腕を取りながら崩れ落ちるユウに手を伸ばした。
「ユウ…っ」
「引き寄せろ、マグネティアっ」
「わっ…?」
蒼い光の糸が、ルイとちはやを、続けてユウを絡めとる。ミヨが得意とする補助魔法だ。蒼い光の糸を紡ぐだけなので、魔法自体はそう高度では無いが、引き寄せたい対象に巻き付ける、光の束の加減が難しい。全く痛みの感じさせないミヨは非常にセンスが良いと言える。
「忌々しい、魔法か…っ、逃がすなペコラ」
シェヴルがユウを包む光糸を掴んで引き千切ろうとする。ルイは焦った。
「ミヨ。ミヨ、急いで」
ペコラが光糸に組み付くよりも、2人が引き寄せられる方が早い。ミヨの隣まで引き寄せられ、光糸から解放された瞬間走り出そうと動き出したちはやは、赤い光の壁を越えられないことに気付いてミヨを振り返った。
「アイツ、ユウがっ…ミヨ、なあ、もっと…もっと強く引けないのか?」
「やってますよぅ…っ」
ルイも彼と同じ気持ちだったが、彼女の大変さも分かるので何も言わなかった。
彼女は最善を尽くしている。細い光糸を途切れさせないように、ギリギリの強さで対象を引き寄せるのには相当の集中力がいるのだ。加えて、光糸を引き千切ろうと躍起になっているシェヴルとペコラにも意識をやって、千切れた光糸を補修しなければならないのだから、かなり彼女も参っているはずである。
なんとか。なんとか一瞬有れば、彼女はきっと引き寄せてくれる。
「…僕がフェイントを掛けるよ。その間に、ミヨ、一気に引き寄せて」
「どうやって。もう出られないのに…」
「僕は。…僕も、魔法使いだよ」
ミヨやサヤのように、コツがいる魔法や高度な魔法は使えないけれど。フェイントくらい、出来るはずだ。
だよね、レシア。
ルイは黒棒を回して刃を呼び出し、完成した槍を両手で構えた。
「仄かな灯火、此方に煌めけ…」
膨れ上がり、体中から噴き出す魔力に髪が躍る。
僕は、刃。熱せられ、焼けた刃だ。
刃のようだと、誰かが言った。君の魔法は、諸刃の剣だと。
…熱い。
ルイは目を細めた。
「レイジングスパーク」
勢い良く放たれた白い光が、赤い壁を突き破り蒼い光糸に沿って走る。先に気付いたペコラが身を引いて。
いける。
「今だ、ミヨッ」
「シェヴルっ」
ペコラの声。光が弾ける。ミヨがユウを思いっきり引き寄せる。サヤが叫んだ。
「テレルガールッ」
完成した魔法陣が閉じていく。少し遅れてルイの魔法が魔法陣の外で爆発音を響かせ、世界が歪んで。
何も分からなくなった。