夢を見ていた。
いつか、誰かが。
おれの名前を呼んで、おれだけのために笑いかけてくれて。優しく抱きしめてくれながら、ここにいてもいいんだよって、いつか、そう言ってくれるんだと信じていた。
あれから。
そんなこと、あるわけ無いんだって絶望していたあの夜から、一体どれくらいたったんだろう。
夜は、嫌いだ。
昔からずっと、それこそ物心ついたころからそうなので、こればっかりはもうどうしようもないのだと思う。
「…イ、ルイ?」
右の頬をぺちぺちと叩かれ、目を覚ましたルイは何度か瞬きをした。至近距離に誰かの顔がある。モスグリーンの、大きな瞳。
水音がする。
「あ…?ち、はや…?」
癖の強い黒髪を、汗で額に張り付かせた彼は、目を覚ましたルイに一瞬だけ安堵の表情をみせた。
「もう…驚かさないでよね」
起きなかったらどうしようとか思ったじゃん。
いつものように笑おうとしたらしい彼の顔は不安定で、崩れてしまいそうだった。
ああ…何か、声をかけないと。
そう思ったルイがまだ若干ボケている頭を動かしている間に、ちはやは一度だけ目を伏せ、すぐにいつもの調子に戻ってしまった。
「動ける?」
「ん、ああ…うん。大丈夫…」
差し出されたちはやの手を握ってルイが立ち上がると、ライルが飛んできて、いつもの場所に収まった。
ちはやはさっさと手を離して辺りを見回している。
ルイが倒れていたのは洞窟内の少し開けた空間らしい。風は通っているようだが、前にも後ろにも続く道は薄暗く、どうやら出口からは遠いようだ。
「リンとサヤは奥にある滝の裏。ユウが見つかってないんだ。今、ミヨが探しに出てる」
「ユウ…?…あ」
そうだ。
段々、思い出して来た。森を抜けて集落に出てすぐ、シェヴルとペコラに襲われて。間一髪、サヤの魔法で飛ばされたのだ。
「ここは?」
「リーゼロッタより少し南の谷底、らしいよ。サヤが言ってた」
魔法で確認したのだろう。彼女がわざとこんな場所に移動するとは思えない。
因みに、サヤが使用した魔法は、ルイが知らないものだった。サヤとは専攻が違うので、そのせいだと思う。彼女は、攻撃魔法しか使えないルイとは違ってオールマイティーだ。
「…ところで」
不意にちはやがこちらを向いた。
「大丈夫?大丈夫ならそのまま探しに行くけど」
「え?何が」
「肩。血まみれになってる。もう出血は収まってるみたいだけど、その…」
ちはやが髪をかきあげる。彼の腕には黄ばんだ布が巻いてあった。
「…貧血、とか、無い?」
なんともバツが悪そうに視線を泳がせながら言うので、ルイは思わず笑ってしまった。
「…っ、なんだよ、もうっ。笑うなよ、ひとがせっかく心配してやってるってのに」
「ごめん。…大丈夫だよ。このくらいなら問題ないから」
やっぱりちはやは優しい。
本人がどんなに悪ぶってそれを否定しても、彼はきっと、他人が辛い思いをすることを放っては置けない。幸と不幸の間で。彼を捕らえているのはジレンマだ。
幸せを憎む心と、幸せを願う心。
傷付いた心は簡単に癒えはしないから、彼は手放しでそれを認めることが出来ない。
膨れてみせるちはやに、ルイは真面目な顔を向けた。
「僕は、ホントに大丈夫。ありがとう」
「…別に。途中で倒れられる方が困るんだよ」
照れ隠しだ。耳が赤い。
「僕なんかより、ユウが心配なんだ。早く探さないと…」
シェヴルの哄笑が、今も耳に残っている。
もしあの場にいたのが彼一人だったなら、彼は捨て身で特攻など仕掛けはしなかった。文字通り、決死の覚悟で、彼はシェヴルを引き止めてくれたのだ。
他でもない、自分達のために。
「ユウだけ、飛ばされてないなんてこと、無いよね?大丈夫だよね?」
それだけが怖い。誰かに否定してもらわないと、嫌な予感が本当になりそうで。
違うって言って。
嘘でも良い。そう言って、否定して欲しかった。気休めで、構わないから。
「…分からないよ」
ちはやは嘘をつかなかった。
「ボクだって目を覚ましてから今までずっとユウを探してる。ボクだけじゃない。ミヨもサヤも、必死で探してる。でも見つからないんだ。…大丈夫だなんて、簡単に言えないよ」
「そんな…」
体から血の気が引いていく。
記憶がフラッシュバックする。イヤな記憶。あの風の日だ。ユウの後について階段を上った。それから…それから、混乱した頭で状況を把握してから、どこをどう走ったのかよく覚えていないのだが、息を切らして走って走って走って。
大事なひとを。一番、大事な、テイレシアスを。
探して、探して。
見つかった時には手遅れだった。
それでも、信じられなくて。信じたくなくて。
レシア。レシア、レシア。嫌だ。イヤだいやだッ…離せ、離せよレシア、レシアぁ…っ。
もう、あんな思いはしたくない。もう二度と、したくないのに。
「…絶対見つけてやる」
ちはやの声で現実に引き戻された。彼は本当に綺麗に笑う。
「結果、助けられちゃったしね。…クロウを疑ってるし、正直、まだ嫌なヤツだって思ってるけど…ルイ達にとっては、大事なひとなんだろ?」
大事なひとだ。ルイは、ユウもサヤもミヨも、彼をとりまく全員が大事なひとだと思っている。
「…うん。大事だ」
「じゃ、早く見つけなきゃでしょ。大怪我してるかもしれないしさ」
行こう。
呼びかけるちはやにライルが応えて尻尾を振る。ルイはほんの少しだけ救われた気持ちで、比較的ゆっくりと歩き出した彼の後を追った。