リーゼロッタは渓谷に囲まれた、辺境の都だ。しかし、自然からは豊かな鉱脈に恵まれ、更にその奥まった複雑な地形が他よりずば抜けた科学技術を育む温床となり、決して広くは無いものの、大陸屈指の大都市に数えられている。
「くそっ、入り口はどこなんだよ」
ちはやが髪をかきあげる。
街はドームで覆われているらしく、もう数十分近く、ルイとちはやは入り口を探してうろうろしている。透明なドームは継ぎ目一つ無く、ぱっと見たところはミヨのシールドに似ていた。
「本当、どうしようか。門とかも見当たらないし…」
がしがしと乱暴に頭を掻いて顔を上げたちはやが目を見張る。気付いたルイは声をかけようとしたが、それよりも彼がルイを突き飛ばす方が早かった。物影に押し込まれ、強か背中を打ちつけて咳き込む。
一拍遅れて、地面が抉れるのを見た。
「な、なにっ?」
驚いて叫んだルイの頭を、ちはやが力一杯押さえつける。そのままの体勢で物影から上を窺いつつ、彼は声を潜めた。
「頭上げないで。上から襲撃された」
どうして。誰に。
疑問が渦巻く。
まさか、もう追いつかれたと言うのか。
しかしルイのその予想は、良くも悪くも裏切られることになった。
「動くな。ここはリーゼロッタ。紹介状を持たないものは全て侵略者とみなす」
金属質な声を頼りに上の方を仰ぎ見ると、ドームの上側に出っ張りがあり、そこに誰か立っている。逆光で顔が見えない。何も持っていないようだが、それならばどうやって、何が地面を抉ったのだ?
「はっ、侵略者ね…っ。どう見たって、ただの…っ、子どもだろ…」
悪態を吐く、ちはやの息が荒い。
身をよじって、彼の様子を確認したルイは思わず悲鳴を上げた。腹部がべっとり、血で汚れている。
「ちはや、血、血が。どこ?どこやられたの?」
錯乱しかけているルイに、身体を支えるのも辛いのか、ぐったりと寄り掛かっている彼は眉をしかめた。
「五月蠅いなあっ…。大丈夫、ちょっと、背中…掠った、だけだよ…」
「背中っ?」
腹部まで血まみれになる程の背中の傷が、ちょっと掠ったどころの話である筈がない。地面を抉った何かしらの攻撃が、彼の背中を、例え少しだとしても捉えていたのだ。
マズい。
早く。早く、お医者さんを呼ばなくちゃ。そうだ、リンもユウも大変なんだ。こんな所で。
こんな所で、震えている訳にはいかない。
ルイはちはやの下から這い出ると、彼の制止を振り切って物影から飛び出し、真っ直ぐに人影を見上げた。
「すいません。僕たち、友達が酷い怪我をしててっ。お医者さんを呼びたいだけなんですっ」
「…。紹介状は」
「それはっ…。無いんです、けど…けど」
「お前」
「え?」
ふわり。風が、言葉を詰まらせたルイの頬を掠めて。次の瞬間、ルイは飛び下りて来た人影に首を鷲掴みにされて宙吊りになっていた。
「がッ…、っは…っ?」
思考が止まる。頭の中が真っ白だ。息が上手く出来なくて、ルイは喘いだ。
なんだ?何が起きた?
「ルイ…っ」
遠くでちはやの声がする。
しかしその声にルイが注意を向けることは無かった。ルイは酸素不足で霞む視界に、ひとりの少年を見ていた。それは、彼は、ルイを吊し上げている張本人であり、先ほど信じられない高さからなんの躊躇も無く飛び下りて来た人影であり、ちはやに重傷を負わせた襲撃者に間違いなかった。紛れもなく、彼だった。しかしそれでも。
ああ、綺麗だと。
強い力で首を絞められ、窒息しそうになりながら、ルイは場違いなことを思っていた。
なんて透明で。
なんて無垢で。
なんて深い、瞳なんだろう。
少年はなんの感情も映さない、その美しい玉虫色の瞳にルイを捉えて瞬きもしない。そして、ルイが意識を手放す一歩手前で、件の金属質な声を震わせた。
「お前の、その両手の血は一体どこで付いた」
「りょ、て…?ぐ、あっ…。そ…は…っ」
ひゅうひゅうと喉が鳴るばかりで喋れない。
気付いたのか、少年がルイの首を解放した。受け身も取れず、地面に叩きつけられて咽せる。
「はっ…、は…っ、げほ、げほっ…。ちはやの…血、で…」
「違う。ニンゲンの血の話はしていない」
そう言うと、少年はいきなり、自ら小指を一本噛み千切った。鮮血が宙を舞う。但し、その色は鮮やかな赤ではなく、混じりっ気の無い黒色をしていた。
「この、これと同じ種類の血を流すモノに、何処で会った。今何処にいる。殺したのか」
指を一本失っても顔色ひとつ変えず、少年は淡々とルイに詰め寄る。ルイは自分の両手を見た。
真新しいちはやの赤い血と、自分の肩口の傷を抑えた時の錆色の血。確かに、もう一色、ごく少量だが黒い血が混ざっている。
誰の血だ?後、怪我をしたのは?
ルイはリンには触れていない。サヤとミヨに外傷は無かった。ならば。
「ユウの、血…?そうだ、ユウも怪我をしてたんだ」
洞窟内で、ユウを仰向けにしたこと以外に、ルイには思い当たる節がない。けれど。
ならば。
「ユウって…なんなの…?」
ユウの顔が思い出される。陥没し、黒くなっていた右半分。普通の人間なら、明らかな致命傷だ。しかしユウはずっと平気そうだったし、今も気を失った原因は、シェヴルによる腹部強殴打で間違いない。
「ユウ…。そうか、そう呼ばれているのか」
トモダチ、と。声にこそされはしなかったが、彼の唇は確かにそう動いた。
「…街の医者は、部外者を診察してはくれない。医者を呼んでも…トモダチは、助からない」
「そんなっ…」
気色ばむルイに対し、少年は幽かに微笑んだ。
「大丈夫だ。僕がちゃんと看る。…ついておいで」
そう言って少年は先ず、未だ物影で荒い息をしているちはやの前に屈み込んだ。