ルイの朝は早い。
専行習得魔法を基本的に2つ持つ要の塔の生徒ながら攻撃魔法しか使えないルイは、魔法が不得手な事をカバーするために槍術を使う。
魔法具としても使用する特別な槍にはこまめな手入れが必要で、体長より更に長さのあるそれを常に使いこなせるようにしておくために、毎日体に馴染ませなければならない。
ルイの場合は年も年なので夜はあまり得意でなく、そのため毎朝、1人でそれらを全てこなす。
今日もまたいつもの様に、日が昇る前に起き出すと、もう既にユウのベッドは蛻の空だった。
見れば彼の荷物も無くなっており、もう出て行った後らしい。
「早いなあ…」
まだ日は昇っていないので自分だって十分早いのだが、自分の事を棚に上げて感心するルイだった。
未だ寝ぼけ気味のライルを抱き上げ、専用のホルスターを取り付けたベルトを締めて顔を軽く洗い、ドアを慎重に開けたルイは出しかけた右足をすぐに引っ込めた。
「ちょっと寒いや。ローブを羽織って行こう」
ライルが小さく寝ぼけて、くぅ、と鳴いた。

街を少し出た辺りの開けた草原に出たルイはホルスターの留め具を外し、小さく折りたたんだ黒い棒状の槍の柄を取り出した。
最大まで伸ばした状態で使う物ものだが、強度も考えると、やはり折りたたみ式はあまり良くない。
しかし如何せん、お世辞にも発育が良いとは言えないルイが持ち運ぶのに槍の柄は長すぎてかさばるので、アンバールの専門店に特注で作って貰ったのである。
刃の無い柄だけのその棍は、強力な強化系の魔法がかけられ、伸ばすと境が分からなくなり元々一本の材木であったかのような強度を誇る優れものだ。
ルイは慣れた手付きで伸ばした棍を右手に握り、くるりと回して槍の刃先を呼び出した。

ミヨのベルと同じく、ルイの槍の刃は異空間に収納した魔法具である。
魔法具は術者の魔力を増幅させる他、少量だが単体で魔力を持つ。
そのため、何かの弾みで無くさないよう、本体を異空間に置き、必要時のみ呼び出して使う決まりがあった。
傷をひとつづつ丁寧に探し、魔力を注いで修繕したルイは立ち上がり、街を覆う壁に向かって下段に構えをとった。

先ずは半身から突き。
振り返りざま、右手の中でもう一度槍を回して流れるように左手に持ち替え、連続で3段突きから切り上げ、重力に任せて袈裟掛けに振り下ろしながら体を反転させ、左足を軸に薙払いを放ち下段の構えに戻る。
一息にそこまでやりきったルイは一度構えを解き、もう一度、今度は中段に構えをとった。
初めに前後への突き。
手首を返して一瞬上段の構えをつくって突き上げ切り返し、頭上で槍を旋回させると、これで攻撃訓練が1セット終了と言うことになる。
同じくらいの防御訓練もサクサクこなし、ルイは白い息を一つ吐いた。
槍を地面に突き刺して広げた手へ、交互に息を吐きかけ擦り合わせる。
「手が冷たくなっちゃった…。でも、この位なら目が醒めて逆に良かったかも」
そう言って振り向いたルイはあれ、と首を傾げた。
ライルがいない。
慌ててルイは辺りを見回した。
「ライル?」
歩き回って見る。
まさか、森には入っていないと思うのだがルイの視界に映る森の手前の草原地帯にライルの白い体躯は無い。
「ライル。どこ?」
ライルを呼びながら壁沿いに森へ入ろうとしたルイは、僅か1歩目で何かに蹴躓いた。
咄嗟に受け身をとろうとした彼は更に地面付近にある何かを避けようと体を捻り、しかし捻り切れず右肩を地面に強か打ちつけた。
激痛に身を捩り目尻に涙を滲ませる彼は、それでもなんとか起き上がり、下敷きにしてしまったそれを振り返った。
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
きぃと言う鳴き声に彼が顔を上げると、翡翠色の瞳が彼を見下ろしている。
ぱたぱたと可愛らしく羽を動かして器用にルイの頭上までやって来た諸悪の根元は、そのまま彼の頭を陣取った。
そのとばっちりでルイのボディプレス食らい、頭を抱えて呻いていたのは、どうやら子どもらしい。
くるくるとした硬そうな長い髪。
ミヨの髪みたいな黒色だが、彼女の髪より随分濃く、一本ずつが太くしっかりしている。
その髪ごと頭を抑えている腕は驚くほどに細く、しかし陽に焼けて健康的だ。
同じく陽に焼けて黄ばんだシャツは大きすぎ、半分の袖が七分になってしまっている。
「あ、あの…大丈夫…?」
「…いたい」
もぞもぞと上げられた顔の中央には深い深い、モスグリーンの大きな瞳。
綺麗なアーモンド形の瞳にはこぼれ落ちんばかりの涙が溜まって日の光に輝いている。
薄桃色の薄い唇と長い前髪に隠れ気味の気の強そうな形の良い眉は、痛みを堪えて思いっ切りしかめられていた。
一見した所では性別の判断はつきにくかったが、どうやら少年のようだ。
ルイは起き上がろうとする彼を助けようと手を差し出して、困った。
彼の名前が分からない。
「はい…えっと」
「ちはや」
少年は耳慣れない発音の名前を名乗り、躊躇うことなくルイの手を握った。

ルイを引く反動で流れる様に立ち上がった彼は、これまたサイズがおかしいハーフパンツに付いた土を払い落としてからルイを振り返って微笑んだ。
「ありがとう」
大人びた少年だ。
明らかに彼の年では不相応な澄ました笑みにどこか落ち着いた知性のようなものを感じたが、それが知性などでは無く凝り固まった憂いだと気付いたルイは愕然とした。
彼の瞳は笑っていない。
「見ない顔だね。どこから来たんだい」
笑顔を引っ込めた彼は微かに首を傾げ、一目でルイを余所者と言い当てた。
驚いたルイが何故かと問うと、ちはやはくすぐったそうに体を揺すり、くすくす笑う。
彼が何故笑うのか理解出来なくてルイはライルと一緒になって首を傾げた。
「簡単だよ。見ない髪の色だ。とっても色が薄いし…肌の色も。思うに、山を越えて寒いところから来た。違う?」
ちはやはにやりと笑って、ルイのローブを指差した。
「ローブはここらじゃ手に入らない。刺繍の細かさはアルゲイポンテスの高級品並みだけど、キミの不用心具合からしてもキミが商人である可能性はほぼ皆無」
そう言って広げられた彼の手にはキャンデーがひとつ。
ルイ達が泊まった宿のマークだ。
慌ててポケットを探ると、眠気覚ましに持ってきたキャンデーが全て無くなっていた。
もうひとつキャンデーを取り出したちはやはルイの手にそれを乗せ、自分は初めのキャンデーの包みを破く。
「更に言うと、あっちの奴らはみんな黒い髪に…女は色々だけど浅黒い肌だし、全体的にもっと薄着で派手なのが好きだ」
「…よく知ってるんだね」
呆れるくらいの物知り、というか観察眼である。
ついでに手癖もかなり悪いようだ。
さっきまでのほんの2、3分の間にルイはしっかり分析され、更に飴玉までくすねられてしまったらしい。
ルイは釈然としない思いでキャンデーの包みを破いた。
「あれ…なんか辛い…?」
口腔内で飴玉を転がしたルイは舌を刺すような感覚に眉根を寄せた。
その様子をにやにやしながら見ていたちはやは愉しくて仕方ないと言う顔でルイの顔を覗き込む。
「薄荷は初めて?」
「ハッカ?」
知らない、とルイが言うと彼はじゃあ甘い飴玉しか知らないだ、と言った。
「飴って甘いものじゃ無いの?」
「じゃあ今キミが口に入れてるのは何?」
言葉に詰まって困った顔をしたルイを興味深そうにキラキラした目で見ていたちはやは堪えきれずに吹き出した。
一頻り笑うだけ笑って、彼は悪びれずにごめんと謝る。
「甘味って凄く高価なんだ。キミの所じゃ違うかもしれないけど、ここなら砂糖1欠片で鹿の足が4足手に入る」
「砂糖で肉が買えるの?」
「物の喩えさ。硬貨に還元すると、そういう計算になるってこと」
キミって実は金持ちだったりしてね、と彼は笑った。
対するルイは眉尻が下がり気味だ。
「それが、友達が昨日財布を黒頭巾っていうひとに盗られちゃって大変なんだ」
「黒頭巾?」
「知らないかなあ…この辺じゃ有名みたいだって聞いたんだけど」
ちはやは肩を大仰に竦めて見せた。
「それよりさ、キミはなんでこんな朝早くに、こんなとこにいるの?」
それを言うなら彼にも同じことが言えるのだが、問題のルイは気付かなかった。
ルイの場合、この時間にひとと遭遇すること自体が計算外なのである。
次いで、魔法使いだなんて普通のひとに言った所で、頭の変な奴と思われるに決まっている。
聖戦の後、魔法も戦闘の技術も一部の地域を除いて完全に忘れられたのだから。
その数少ない場のひとつ、魔法都市アンバールも外部との交流を極端に遮断した、閉鎖的な場所だった。
「あ、えと…き、筋力強化練習を…」
「キミが?見たところ、かなり貧弱そうだけど…力仕事でもしたいの?無理だと思うよ」
自分より細い少年に貧弱そうと言われてしまったルイである。
確かに自分でも少し無理があるとは思ったが、こうも面と向かって言われるとかなり傷つく。
直ぐには立ち直れないらしく、打ち拉がれて脱力しているルイを怪訝そうに見ていたちはやは、未だルイが右手に握っていた槍の柄に目を留めた。
因みに槍の刃の部分は、ライルを探す時に帰してあるので、ぱっと見たところ、ただの黒い棒だ。
「これは何?キミがつく杖にしては随分長いけど」
何気なく伸びてきたちはやの右手を、ルイは反射的に払いのけた。
驚いたらしいちはやは両手を顔の横まで上げて目を見開く。
「あ、ごめん…でもこれは、き…大事なものだから」

内部のことは、なるべく良く知らない奴には言わない方が良い。
知ることで危険になることもある。
ユウの受け売りだ。

「…ふうん?ま、言いたくないなら、いいや」
「…ごめんね」
「いいよ、言いたくないことの一つや二つ、誰でもある」
ちはやはもう気にしないことにしたらしい。
彼はとん、と体の調子を確かめるようにその場で飛び跳ねた。
「よし。じゃあね、ボクもそろそろ、仕事しなきゃ」
「あ、そうだ。ひとつ気になってたんだけど」
走り出そうとするその背中にそう声を掛けると、小さな黒髪の少年は首だけで振り向いた。

「君は街の子なの?」

その問いに一瞬固まったちはやは、顔から全ての表情を消し、彼は冷たく澄んだ瞳でルイを睨むように見つめた。
「違うよ」
ひとが変わったような、と言う言葉通り別人のような声で彼は答える。

「ボクは森の子さ」

ルイにはまだ、彼の言葉の意味は分からなかった。

 

 

 

 

 

 
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