朝食を済ませたルイはサヤと共に街に出た。 
因みにミヨはサヤと入れ替わりで、女将さんに連れて行かれた。 
何でも昨日、彼女は女将さんに古着を見せてもらう約束をしていたらしい。 
呆れるくらいの図々しさである。 
2人は街に出たからと言って何をする訳でもなく、何となく無駄話をしながら広場に向かった。 
「そこの茶髪のお兄さん、彼女に贈るお花はいかが?」 
不意に肩をたたかれて振り返ったルイにそう微笑んだ少女は、合わせた両手から赤い大輪の花を出した。 
目を見張るような美しい少女だった。 
利発そうな瞳を優雅に緩めて彼女はルイの手を取り、可愛らしい笑顔を引っ込めて、にやり、と笑った少女はルイの手に無理やり花を握らせる。 
「皆さま、とくとご覧あれ。タネも仕掛けもあるけれど、あんたらなんかにゃ見抜けない。あたいの手品を見抜けたならば、お代はタダにしてやんよ。さあ、あたいの喧嘩を買うのはだあれ?」 
ルイに花を手渡すが早いか、広場の中心に鎮座する樽の山の天辺まで駆け上がり少女は声を張り上げる。 
どうやら見世物嬢のようだが、今まで聞いたことの無いような強気な客引き文句だ。 
観客に喧嘩を売っている客引き嬢など聞いたこともない。 
叩く両手から真っ赤な花弁を撒き散らしながら少女は樽の上でステップを踏み、蜻蛉返りで樽から飛び降りた。 
いつの間にか周りには野次馬が集まって、少女はおどけて礼をして不敵に笑う。 
「皆様のお相手を致しまするは私、軽業師のアスカに御座います。どうぞよしなに、お見知り置きのほどを」 
野次馬もとい観衆達の拍手にわざとらしくもう一度礼をして、アスカはハンカチを鳥に変えた。 
  
一方、途中から野次馬に呑み込まれたルイは人混みの中からアスカを見上げていた。 
金髪を躍らせてステップを踏む彼女は華やかで、思わず目で追わずにはいられない。 
人混みを縫ってやって来たサヤはルイの陰から彼女を見上げて、あれ、と言った。 
彼女は丁度、町人から貰った水を口に含んで宙返りを決め、空に向かって火を吹いてみせたところだった。 
「ルイ、あのこは…」 
「うん?ああ、アスカって言うんだってさ。凄いよね。まるで魔法みたい」 
「えっと、そうじゃ無くて…」 
また人混みに呑まれて流されそうになったサヤに気付いたルイは、咄嗟に彼女の右手を握った。 
「大丈夫?」 
左手でずり落ちそうな帽子を押さえて気持ちだけ赤い顔で頷くサヤにルイは、危ないから放さないでね、と言った。 
その時。
「テメェら、そこでなにやってんだ」 
怒声と共に人垣を押しのけて、真っ赤な顔の男達がやって来た。 
昨日見かけた顔もあり、どうやらこの街の商人のようだ。 
男達は樽を囲むようにして怒鳴り声を上げる。 
大の大人の男達に詰め寄られても、樽の天辺に腰掛けたアスカは素知らぬ風で、例の鳴らした手から花を出す手品で遊んでいる。 
ゆらゆらと足を揺らして彼女は商人達を見下ろし、不機嫌そうに鼻を鳴らした。 
「なにって手品よ、見れば分かるでしょう。まさか、それさえ分からない?医者に行きなさい。怒り過ぎでタコになるわよ、おじさま?」 
「はん、ガキ風情、何が手品だ、ふざけんなよ。商売の邪魔だ、どっか行きやがれ」 
「あら、あたいは誰の邪魔もしてないわ。客に振り向いてもらえないのは、おじさま達の接客態度がお悪いからじゃなくて?それを子どもに当たるとは、なんて見苦しいこと」 
にやにや笑うアスカはなんだか凄く楽しそうだ。 
場数を踏んだ熟練者の余裕だろうか。 
怒り心頭の男の1人が彼女に後ろから殴りかかった。 
気付かない彼女の代わりに観客達が悲鳴をあげる。 
男の太い腕が彼女を捕らえた瞬間、彼女の全身が金色の蝶に変わって盛大に飛び去った。 
観客達は拍手喝采の大喜び、男達は呆気にとられて開いた口が塞がらない。 
蝶の大群が消えていった空から、アスカの声だけがする。 
「はてさて、皆様ご満足?お代は簡単ワンコイン、空へとさしあげて下さいませれば、あたいが頂戴致しましょう」 
観客達が大騒ぎしながらそれぞれの財布から硬貨を取り出して空へと掲げる。 
ルイはサヤと顔を見合わせて焦ってポケットを探り、薄荷飴を2つ取り出した。 
硬貨は無いが、半ば不可抗力でも見世物を観たので何かしら、と思ったルイである。 
サヤの方は右耳のピアスを外して空へさしあげていた。 
レシアと彼女が選んだ螢石のピアス。 
右は彼女の。 
左はレシアの。 
「レシア…」 
薄荷飴の消えた右手を胸元で握ったルイの頭上から、ずり落ちてきたライルがくぅ、と鳴いた。 
答えるようにうん、と言ってルイは笑った。 
「大丈夫だよ」 
人混みが解消した広場。 
見上げた空は突き抜けるように青くて、なんだか少し鼻の奥がつんとした。