ルイ達を睨んでいたちはやは唐突に頭を振って、乱暴に髪をかきあげた。
癖の強い黒髪は、細すぎる腕に絡まり、風に流れていく。
苛々しているのか何度も頭を振った彼は、また舌打ちをした。
「もういい…どうせお前らには、何日も食べ物を口に出来ずに死んでいく子どもの気持ちなんて、絶対分かりやしないんだよ…行こう、リン」
吐き捨てるようにそう言った彼は、クロウに手を引かれていた少女の腕をとって、走り出した。
「こら、待ちなさい」
クロウに続いてルイはちはやに声を掛けようとしたが、今日例によって、足の速い彼はすぐに見えなくなってしまう。
溜め息をついたクロウの肩をレキが豪快に叩いて屈託なく笑った。
「まあ、いつものことだし、時間もアレだ。クロウは帰っててくれよ。そうだ、そこの子らも連れてったら良い。アイツは俺が捜して、連れ戻すからさ」
快活に笑うレキを、先ほどちはやは横に成長し過ぎだと言ったが、彼は別に恰幅が良い訳ではない。
むしろ平均と比べれば細いくらいだ。
ただちはややクロウよりも筋肉質で、体格が良いくらい。
実際ユウと似たり寄ったり、といったところだが、彼もまた、飢えと闘う子どものひとりなのだろうか。
そういえば、自分は彼らの年齢さえも知らないのだ。
そんなことを思いながらルイが歩きだした彼の背中を眺めていると、彼は何か思い出したようで体全体で振り向いた。
彼は未だ幼さの残る丸い顔をくしゃくしゃにして笑い、そうだお嬢ちゃん、とミヨを呼ぶ。
「本当、すまんなあ。まあ謝りゃ良いってもんでも無いんだけどよ。でも…」
彼はそこでちょっと言葉を切って、顔を引き締めた。
「ちはやもちはやなりにさ、色々考えてやったことなんだ。あんま、恨まないでやってくれ」
財布を握り締めたミヨが頷いたのを見て、レキはまた朗らかに笑った。
一度宿に戻った一行は、クロウの案内で彼らの住処に向かった。
日が傾いて、ほんのりと赤く色づいた森の中を、クロウは淀みなく進んでいく。
ルイはミヨが復活したのを確認して、足を速めた。
横に並んだルイに気付いて、クロウが微笑む。
「そういえば、ちはやが踏みつけられたとかなんとか、レキが笑っていたね。私も…彼を踏みつけるのは、大変難しいことだと思うのだけれど」
相当面白かったのか、レキはクロウの耳にもその話を入れたらしい。
あの時のちはやの様子を思い出し、心の中で詫びながらルイは苦笑いを返した。
「あの時はライルを捜してて…ライルってこの白い子なんですけど…下を見てなくて、躓いちゃって。それで、そのまま…」
どうやって弁明したものかと、ルイがもごもごしていると、またクロウが笑った。
クロウの笑い方は、ちはやのひとを小馬鹿にしたような笑い方でもなく、レキのあっけらかんとした笑い方とも違う。
彼の笑顔は溜め息が出るほど美しく、この上無いほどに上品で、まるで、腕利きの職人が何年もかけて作り上げた、工芸品のようだ。
「それでも、普通なら踏まれる彼では無いはずだから。面白い話だよ」
それで、と彼は続けた。
「私に何か、聞きたいことがあるのでしょう?」
「あ、はい。あの…今朝、ちはやに会った時に彼が、自分は森の子だよって…あれって、どういう意味なんですか?」
一瞬クロウの瞳が大きなった。
「…ちはやが、そんなことを?」
どうやら意外なようで、クロウの瞳が泳いでいる。
「私達は…森の人と呼ばれているから…恐らく、それで」
クロウはそれっきり黙ってしまった。
困ったルイは話題を探すが、焦れば焦るほど出てこない。
元々、ルイは人付き合いが上手い訳ではないのだ。
困ったルイが人知れず呻いていると、タイミングよくミヨがやって来た。
彼女もクロウに用があったらしく、伸び上がるようにして2人の間に割り込んでくる。
彼女はポケットから件の財布を取り出して、クロウに示した。
「この財布のお金…ユウくんにさっき確認したんですけど、これ、今日2人が働いた分のお給金全額ですよね?ちはやくんもパンがって言ってましたし…全部なんて、困るんじゃないですか?」
どうやら彼女は財布の中身をきっちり確認済みらしい。
もうなんだか、抜け目がないというかなんというか、実に現実的な少女だ。
もう何年もクラスメイトをやっているルイでも、時折彼女の図太さには驚かされる。
クロウも驚いたようで、目を丸くしていた。
「ああ…恥ずかしながら、貯えが無くてね。あそこでは私とレキしか雇ってもらえないものだから、足りない分はどうしようもなくて。パンのことも、心配しなくて大丈夫だよ。今はまだ森で木の実なんかが採れるから」
そこまで言ったクロウは少し困った顔をした。
「…でも、生活が苦しいのは否めないかな。昨日も子どもがひとり、倒れてしまってね。私たちにはその子を治療してやることは出来ないし、薬を買うは疎か、医者へ診せるだけのお金も無い。出来ることと言ったら、少しでも働いて少しでも栄養のある、マシな物を買って帰ってやるくらいだけど、ここ最近はそれさえ難しくなる始末で…昨日、ちはやは君から盗んだお金を全てパンに換えて帰って来たのだけど、正直…さっきは彼を叱ったけれど、そのお陰で大分助かったんだ。昨日の内に、浮いたお金で薬を少し買えたから、その子も随分良くなった。こう言うのもおかしいのかも知れないけど…」
クロウは足を止めて、ミヨに向き直った。
「ありがとう、その子の分まで感謝します」
クロウの背中には、古ぼけて修繕痕の目立つ建物。
年季の入った建物からは賑やかな声がする。
両手いっぱいに木の実やら草やらを抱えて森の奥から現れた子ども達が、クロウの名前を呼んで口々に挨拶をしながら建物へと走っていく。
夕餉の準備をしているんだ、とクロウは笑った。
「ようこそ、森の家へ」
何ももてなしは出来ないけれど、と悪戯っぽく微笑んで、彼は建物のドアを開けた。